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星がこぼれた夜
大人は、星は空にあるものだと言います。
だから、足元に星が落ちていないかなんて、誰も探したりはしません。
でも、子どもたちは知っています。
星はときどき、空を抜け出して旅に出ることを。
ある夜、ひとつの小さな星が、音もなく空からこぼれ落ちました。
それを見つけたのは、ひとりの女の子。
「どうしたの? 迷子になったの?」
そっと手を伸ばすと、星はほんの少しだけ光って、また眠るように静かになりました。
どうしたら、この子を起こせるんだろう。
あたりを探していると、暗闇の中に古い金色のラッパがひとつ。
女の子が、ふぅっと息を吹きこむと——
遠くで眠っていた星たちが、ひとつ、またひとつと瞬きはじめました。
どうやらこれは、星を呼ぶためのラッパだったようです。
すると、ラッパの音が消えたあたりから、一本の細い糸がするすると足元まで伸びてきました。
「……なににつながってるんだろう?」
恐る恐る引いてみると、暗闇の底から、もうひとつ小さな星が釣り上がってきました。
ひとつだけでは、なかったのです。
この世界には、空へ帰れなくなった星が、まだどこかに隠れているのです。
女の子は、最初に見つけた星をそっと抱えて言いました。
「だいじょうぶ。いっしょに、おうちに帰る道を探そう。」
その言葉を聞いた星は、さっきより少しだけ明るく光りました。
こうして、
星を空へ帰すための、小さな旅がはじまりました。
歩きはじめようとした、そのとき。
女の子の手の中で、星がふるっと小さく震えました。
そして、ぽろり。
星からこぼれたひと粒の光が、
女の子の足元に落ちました。
その光は、青。
もうひと粒落ちると、今度は桃色。
ひとつ、またひとつ。
星が光をこぼすたび、
真っ暗だった夜に、少しずつ色が生まれていきます。
まるで誰かが、
夜の上に絵の具をそっと落としているみたいに。
女の子は、足元に続く色を見つめました。
「この色、どこまで続いてるんだろう。」
星は何も答えません。
ただ、青と桃色が混ざるその先へ、
ちかっとひとつ瞬きました。
女の子は星を抱きなおして、
色の続きを探しに歩きはじめます。
まだ、このときは知りませんでした。
この先に、
名前のない色が待っていることを。
名前のない色
夜を抜けると、
そこには空色と桃色でできた、不思議な国がありました。
女の子の前には、
大きな桃色のアーチ。
その奥にも、もうひとつ小さなアーチが隠れています。
「この先、なにがあるんだろう。」
桃色の階段を、たたたっとのぼって。
今度は三つ並んだ青い窓へ。
ひとつ目から覗いて、
ふたつ目に隠れて、
みっつ目から、ひょこっと顔を出す。
星を抱えたまま、
女の子はあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
いつの間にか、旅の途中だったことも忘れていました。
頭の上では、金色のシャンデリアがきらきら。
女の子がくるっと回るたび、
光も一緒に踊っているようです。
小さな鏡を見つけると、
女の子は星も一緒に映してみました。
でも、星だけはまだ真っ白。
「あなたの色、どこに忘れてきたの?」
すると今度は、
部屋の真ん中に、小さなお茶会が待っていました。
お星さまのお砂糖をまとったアイス。
花や小さな光を飾ったケーキ。
テーブルの上には、
ころころとこぼれた光の粒。
そのそばにある一冊の古い本には、
色とりどりの石のあいだから、不思議な花が咲いています。
「これ、だれのお茶会だろう。」
女の子は星をそばに置いて、
アイスを選んだり、ケーキを覗きこんだり。
気がつけばそこは、
女の子と星だけの、小さなティーパーティ。
青を見せると、星は青く光って。
桃色を見せると、桃色に光ります。
花の色も。
ケーキの色も。
シャンデリアのきらきらも。
どれを見ても、星はうれしそうに瞬きました。
「どれが好きなの?」
女の子は少し考えて、
「じゃあ、ぜんぶでいいね。」
そう言って笑いました。
すると——
空色も、桃色も、
花の色も、光のきらきらも。
この国で見つけた色が、
みんな星の中へ溶けていきました。
青でもない。
桃色でもない。
金色でもない。
見るたびに少しずつ変わる、
どこにもない色。
女の子はしばらく眺めて、
「その色が、いちばんきれい。」
星も笑ったみたいに、
ぱっと明るく光りました。
そのとき、
どこからか、ふわっといい香りがしました。
花の香りとも、お菓子の甘い香りとも少し違う、
どこか不思議な香り。
「なんの匂いだろう。」
女の子が香りをたどっていくと、
白いレースが何枚も、静かに揺れていました。
近づくほど、香りは少しずつ濃くなっていきます。
白いレースは、風もないのに
ふわり、ふわり。
女の子が一枚、そっとめくると、
その隙間から、またいい香りがこぼれてきました。
「ここからする。」
もう一枚、そっとめくってみる。
すると、もっと奥から
さっきとは少し違う香り。
どうやらこの世界では、
いい匂いにも、つづきがあるようです。
名前を知っている贈り物
白いレースを一枚、また一枚。
女の子は、いい香りのする方へ進んでいきました。
その先には、
青と白でできた、小さな神殿。
白いレースは、ふわっとやさしい香り。
青いレースは、すーっと透きとおるような香り。
桃色のレースは、少しだけ甘い香り。
「ぜんぶ、ちがう。」
神殿のすみでは、
くまたちが、静かにこちらを見ています。
女の子がそっと近づくと——
ふわぁっ。
白も、青も、桃色も。
眠っていたレースたちが、いっせいに香りはじめました。
その香りの真ん中に、
女の子の名前を知っている手紙が、ひとつだけ待っていました。
「……わたしの?」
ここは、
まだうまく言葉にできなかった想いが、
手紙になって残る場所。
女の子のことを何度も想って、
今日までずっと見つめてきた人からの手紙です。
うれしかった日のこと。
大きくなったな、と思ったこと。
これから先、願っていること。
女の子は、そっと手紙をひらきました。
何が書いてあったのかは、
星と女の子だけの秘密です。
読み終わるころ、
手の中の星が、今まででいちばんあたたかく光りました。
その光が足元へこぼれると、
床に描かれた星座が、ひとつ、またひとつと輝きはじめます。
そして、どこか遠くから——
カチッ。
……カチッ。
小さな時計の音。
女の子は手紙を大切に抱えて、
光りはじめた星のおみちを見つめました。
どうやら、
この想いにはまだ、つづきがあるようです。
金色の時計が動くとき
星のおみちをたどっていくと、
あたりは少しずつ金色になっていきました。
壁にも、床にも、
誰かが空からこぼしたような金色のかけら。
そして、その真ん中に——
女の子よりもずっと大きな時計がありました。
カチッ。
……カチッ。
さっきから聞こえていたのは、
この時計の音でした。
女の子がそっと耳を近づけます。
けれど、不思議なことに、
時計の針は少しも動いていません。
「音はするのに。」
時計の上には、小さな鍵がひとつ。
女の子が手を伸ばしてみても、
何を開ける鍵なのかはわかりません。
すると今度は、窓辺で——
きらり。
空から落ちてきたような結晶が、
朝の光をつかまえました。
ひとつの光が、青になって。
桃色になって。
金色になって。
そのあいだを、
小さな鳥たちが飛んでいます。
まるで、こぼれた時間をひとつずつ
空へ運んでいるみたいでした。
女の子が結晶にそっと手を伸ばすと、
虹色の光が指先を通って、腕の中の星にも映りました。
そのとき——
コトン。
時計の針が、ひとつだけ動きました。
「動いた。」
女の子は時計の前にしゃがみこんで、
もう一度、じっと見つめました。
でも、そのあとは動きません。
どうやらこの時計は、
普通の時間を数える時計ではないようです。
うれしかった日のこと。
誰かにもらった大切な言葉。
ずっと忘れたくない、ほんの短い時間。
そんな時間がここへやってくると、
針がひとつだけ進むのだそうです。
女の子は、
さっき神殿で読んだ手紙を思い出しました。
何が書いてあったのかは、
やっぱり誰にも言いません。
ただ、手紙を胸に抱いて、
大きな時計にそっと触れました。
カチッ。
今度は、星が大きく光りました。
時計の小さな鍵も、
光に気づいたみたいに、かすかに揺れました。
そして結晶のあいだから、
一羽の小さな鳥が、すっと高く飛んでいきます。
もう一羽。
そのあとを追うように、もう一羽。
女の子が鳥たちの行方を見上げると、
ずっと高いところに、白い雲が見えました。
星も同じ方を見ているように、
小さく、でも確かに瞬きます。
女の子はようやく気づきました。
どうやら、星のおうちは——
もう、そんなに遠くないようです。
雲の上にある帰り道
鳥たちのあとを追っていくと、
空の近くに、白いらせん階段がありました。
階段のまわりには、
雲がふわり、ふわり。
下から見上げても、
いちばん上は見えません。
「ここをのぼるの?」
女の子が聞くと、
星は手の中で、ゆっくり瞬きました。
どうやら、ここが最後の道のようです。
女の子は星を大切に抱えて、
一段ずつ、階段をのぼりはじめました。
ひとつ。
また、ひとつ。
のぼるたびに、
下にあった世界が少しずつ小さくなっていきます。
空色と桃色の国も。
香りのするレースの神殿も。
大きな時計のある黄金の場所も。
どれも、ずっと昔のことみたいに見えました。
でも、手の中の星を見ると、
ちゃんと覚えています。
見つけた色。
大切な手紙。
時計がひとつ進んだ音。
旅のはじめには真っ白だった星は、
今では、いろんな光を抱えて輝いていました。
女の子は、少しのあいだ、歩くのをやめました。
「帰ったら、もう会えないのかな。」
星は何も答えません。
ただ、女の子の手の中で
とてもやさしく光りました。
それを見て、女の子はもう一度歩きはじめます。
雲をひとつ越えて、
またひとつ越えて。
やがて、階段のいちばん上にたどり着きました。
そこにはもう、道はありません。
あるのは、
どこまでも続く空だけ。
女の子は両手をひらきました。
星はしばらくそこにいて、
最後に一度だけ、大きく瞬きました。
そして——
ふわり。
女の子の手を離れ、
ゆっくり空へ昇っていきました。
ひとつだった光は、
どんどん小さくなって、
やがて、空にあるたくさんの星の中へ。
女の子は、ずっと見上げていました。
どの星なのか、
もうわからなくなってしまっても。
不思議と、寂しくはありませんでした。
だって、知っていたから。
星はなくなったんじゃない。
ちゃんと、帰る場所へ帰っただけ。
その夜。
空には、
昨日までなかったような、小さな星がひとつ。
そして女の子の手のひらにも、
ほんの少しだけ、あの星の光が残っていました。
きっと大切なものは、
離れてしまっても、全部なくなるわけではないのです。
色も。
香りも。
誰かからもらった言葉も。
一緒に過ごした時間も。
覚えているかぎり、
どこかでずっと光っている。
女の子はもう一度、空を見上げました。
すると遠くで、
ひとつの星が——
ちかっ。
と、瞬きました。
女の子も、小さく笑いました。
また、この世界で。
星を空へ帰したあと、
女の子は、来た道をゆっくり戻っていきました。
空色と桃色の国。
いい匂いのするレース。
自分の名前を知っていた手紙。
大きな時計と、金色の光。
どれも、ついさっきまでそこにあったのに、
少しずつ夢だったような気がしてきます。
「ほんとに、あったんだよね。」
女の子が空を見上げると、
遠くの星が、ちかっとひとつ瞬きました。
そのとき、足元に小さな光。
拾ってみると、
そこには今日の女の子が写った、一枚の写真がありました。
アーチから顔を出して笑っていたこと。
星と小さなお茶会をしたこと。
手紙を大切に読んだこと。
雲の階段を、ずっと上までのぼったこと。
一枚を見ているだけなのに、
さっきの笑い声まで聞こえてくるようでした。
女の子は写真を胸に抱えて、
もう一度だけ振り返りました。
そして、すぐに言いました。
「ねえ、つぎはいつ来る?」
まだ帰ったばかりなのに。
きっと、本当に楽しかった場所は、
さよならをした瞬間から、
また行きたい場所になるのです。
その夜。
女の子がもう一度その写真を眺めると、
ほんの少しだけ、レースのいい香りがしたような気がしました。
星の光も。
あの日の色も。
誰かからもらった想いも。
一緒に笑った時間も。
きっと、ずっと同じ形ではいられません。
だから、この世界では、
大切な「いま」を、ひとつずつ残していきます。
残さないと、残らない。
でも残しておけば、
いつかページをひらいたとき、
あの日の物語は、また始まるのです。
この物語を、いちばん近くで
見ていたふたりがいます。